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Go Home No Home ( リダイレクト:川村カオリ ) : ウィキペディア日本語版
川村カオリ[かわむら かおり]

川村 カオリ(かわむら カオリ、1971年1月23日 - 2009年7月28日)は、日本歌手。本名及び旧芸名、川村 かおり
モスクワ出身。英国四天王寺学園高等部卒業。
== 略歴 ==
父親が日本人(商社駐在員を務めていた川村秀・現日露文化センター代表)で母親がロシアのハーフ。モスクワで生まれる。幼い頃に正教洗礼を受ける。聖名アナスタシア川村カオリさん通夜に700人 スポーツ報知(2009年7月31日06時02分)、同年7月31日閲覧。〕(ギリシャ語で「復活」「復活した女」を意味する)。
11歳の時に家族と共にモスクワから千葉県に移住。帰国後に編入した小学校で、「純粋な日本人ではない」「混血、ハーフ」と揶揄を受け、いじめに遭う〔私物を隠されたり、教科書を破かれることもしばしばあった。一部の生徒が「川村かおりを殺す会」と呼称したグループまで作り、時に給食にゴミや害虫などの異物を入れるような酷い仕打ちをしたという。〕。都内の中学校に進学した1983年大韓航空機撃墜事件が起きる(ソ連上空を領空侵犯した大韓航空機がソ連防空軍の戦闘機に迎撃され撃墜した事件。日本人犠牲者は28人)。同級生はおろか、教師からも心無い非情な言葉を浴びせられたという〔2009年3月13日放送『金スマ波瀾万丈』及び、自伝『Helter Skelter』参考〕。このこともあり学校への不信感を募らせ、同級生が多く進学するであろう地域ではない高校への進学を考える。
1986年東京都立田柄高等学校に進学。芸術の選択教科は美術であり、音楽の授業は普通教科のみであった〔1986年当時の同校芸術選択教科は、美術・音楽・書道の三つから選択。〕。高校進学後は特にいじめられることはなかった。
新宿Loftやツバキハウスなどに頻繁に出入りするようになったのもこの時期である。そこで音楽関係者と知り合い、後にデビューの足掛かりとなった。
1987年、都立高校を中退し渡英。ライブハウスに通い詰める。暫くして英国四天王寺学園高等学校(2000年閉鎖)に編入、単位を修得し卒業。程なく帰国する。
1988年辻仁成プロデュースによりシングル「ZOO」〔「ZOO」は後にECHOES蓮井朱夏菅野美穂)、伴都美子沼倉愛美辻仁成福山雅治にカバーされたが(ECHOES、辻仁成の場合はセルフカバー)、一部歌詞の違い等あるがオリジナルは川村のバージョンである。〕、および同名アルバムでデビュー。
1990年、「神様が降りてくる夜」が『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』のテーマ曲となりヒットする。1991年には「翼をください」〔赤い鳥のカヴァー〕もヒット。音楽番組だけではなくバラエティ番組などにも出演するようになる。また、モデルとして雑誌やショーに出演する機会も増える。
1989年4月から1991年6月までニッポン放送オールナイトニッポン』土曜2部のパーソナリティを務めた。番組中、電話でゲスト出演した大槻ケンヂと同じ、田柄高校の出身と分かり話が盛り上がる。また当時のソビエト連邦大統領ゴルバチョフにリスナーから質問をする趣旨を掲げた「ゴルバチョフへの手紙」というコーナーもあり、簡単なロシア語を披露した。実際にロシア語で綴った手紙を大使館を通じてゴルバチョフに届けたことがある。それがきっかけとなり、大統領と電話で話す機会を得るなど話題となった。ゴルバチョフの来日が決定すると、当時の内閣総理大臣であった海部俊樹の名前で晩餐会への招待状が届く。短時間ではあったが面会も叶い、その模様も番組で放送された。「子どもの頃はコンプレックスであった自分の血を、いまは胸を張って誇りに思える」と語った。
1991年、『東京の休日』で映画初主演。1992年エッセイ集『volume―僕の手の中』を発表。
1993年より活動休止し、ニューヨーク等で生活。1995年6月、音楽活動を再開。所属レコード会社を移籍し、シングル「Big Beat」を発表した。
1996年、NHK-BSのテレビドラマ『新宿鮫・屍蘭』に出演〔原作の「青木晶」は川村をイメージしてキャラクター付けされているという。〕。1997年、同シリーズ『新宿鮫・毒猿』に出演。
1998年クラブ音楽の制作を目的としたソロプロジェクト「SORROW」を開始し、クラブイベントでのDJとしても活動を始めた。また、モデルの坂田かよと共にクラブイベント「696」を開催。この頃、「川村かおり」から「川村カオリ」に改名した。同年、母が乳癌で永眠。
1999年2月、バンド「SOBUT」のギタリストであったMOTOAKIと結婚。同年、手塚眞監督の映画『白痴』に出演。
2000年、「SORROW」のメンバーに中村達也を加えてイベントを全国で展開。以降、MOTOAKIも含めたバンドを構成、インディーズで活動を続ける。MOTOAKIとの写真集『True Romance』(撮影:ニッキー・スターキー)を出版。
2001年、ツアーの様子を自ら撮影したドキュメンタリー映画『696 TRAVELING HIGH』を発表した。同年、行定勲監督『贅沢な骨』に出演。また同年12月、長女を出産。
2003年、「SORROW」名義でユニバーサルミュージックよりアルバムを発表し、メジャーデビュー。同年、MOTOAKIとの別居生活を始めた。
2004年、乳癌が発覚。左乳房の切除手術と抗がん剤治療を経て、2005年に芸能活動を再開した。9月、フォトエッセイ『Helter Skelter』を発表。少女期に受けたいじめや、音楽活動の紆余曲折、乳癌を患った事とその闘病生活などを明かした。2006年、手塚眞監督の映画『BLACK KISS』で主演を務める。
また、国内アパレルブランド〔LIMI feu(リミフゥ・山本耀司の長女・里美のブランド)、alfredo BANNISTER(アルフレッド・バニスター)、Roen(ロエン)、Candy Stripper(キャンディストリッパー)、HIROMICHI NAKANO(ヒロミチナカノ)、FULLCOUNT(フルカウント)など〕のモデルとしてパリ・コレクションなどのファッションショーに出演。
2007年、「SORROW」の活動休止(実質解散)を発表。同年、北村龍平監督の『LOVE DEATH』に出演。6月には3年半の別居の末MOTOAKIと離婚。また、6月20日に発売されたTHE NEATBEATSのアルバム『JAPANESE ROCK & ROLL ATTACK!!ロックンロールの逆襲〜日本編』に、「ロックンロール・ウィドウ」のカバーで参加。9月29日、ピンクリボン運動のイベントでトークショーに出演。「年に1度はマンモグラフィー検査に行ってほしい」と訴えた〔川村カオリ、自身の乳がん体験を初告白 ORICON STYLE 参考。〕〔FUJIFILM 『ピンク ピンク ピンク!』開催のお知らせ 参考。〕。イベント終了後の記者会見では、話し合いを経て共に悔いの無い心境で離婚届を提出した事、長女の親権は川村が持つ事などを明かした〔OICON STYLE ニュース 川村カオリ、離婚届は「笑いながら」提出 参考。〕。
2008年10月1日、ブログで癌の再発を発表。同日に参加したピンクリボンフェスティバル終了後の記者会見では、昨年関節炎と診断された胸の痛みの原因が実際は癌である事が1月に判明、リンパ節の3ヶ所に転移しており、手術が不可能なため点滴での抗がん剤治療を続けている事を明かした〔スポーツ報知 川村カオリ「歌い続けたい」ガン再発を告白 参考。〕。
2009年1月23日、11年ぶりの誕生日ライブを東京・原宿アストロホールで行う。「バタフライ」など7曲を歌った。
3月22日、東京渋谷HMVでシングル「バタフライ」と書籍『MY SWEET HOME』の発売記念インストアライブにて、トークと「バタフライ」を1フレーズ歌い、握手会を行った。
4月4日、単発特番の川村カオリのオールナイトニッポンが放送される予定だったが、体調不良のため川村本人は生出演せず、急遽『川村カオリのためのオールナイトニッポン』として放送された。MCは構成作家の鈴木おさむ
5月5日、東京渋谷CCレモンホールにてライブを行った。全席完売の会場で全13曲を歌い、合間にオールナイトニッポンの公開録音を行った。公演中は椅子に座った状態だったが、アンコールの『ZOO』ではギターを抱えて立って歌った。ゲストは鈴木祥子浅井健一高橋研吉川晃司、渡辺俊美、鈴木彩子で、13年ぶりのフルアルバム『K』に参加したメンバーが入れ換わりで演奏した。
5月27日、13年ぶりのフルアルバム『K』を発売。同年7月1日ブログで癌の新たな転移が見つかったことを報告。
7月28日午前11時01分、乳癌のため都内の病院にて永眠。。
正教の信徒であったため、葬儀は日本正教会最大の教会であるニコライ堂で行われた。7月30日夜にパニヒダ(通夜)、31日昼に埋葬式(葬儀)(埋葬式は主教祈祷)が行われ友人・知人からの献花を受けた。聖堂内には川村のCD、愛用のギター三本などが並べられた〔ただし出典記事には正教会の用語等につき多くの誤りがあり、これを修正して本項文章を作成。〕。喪主は、カオリの弟である川村忠が務めた〔Sponichi Annex ニュース 川村カオリさん死去…2度の乳がん転移の末(芸能) 参考。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「川村カオリ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kaori Kawamura 」があります。




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